蓮如堂(福井市高屋)の由来
1471年 本願寺第八世蓮如上人は下向坊舎を建立し精力的に布教を始められる。
1472年 高屋に居住の朝倉敏景の家臣民部景親は上人に帰依し了然の法名を賜り光明寺を建立。
1474年 三月吉崎御坊焼失の折初代住職了然が上人を高屋の道場にお連れし三十日間御接待申し上げる。
1524年 実如上人北陸下向の折高屋に立寄り蓮如上人御逗留の旧跡として御座光明寺の寺号を賜る。
1590年 高屋の光明寺が大破したので北の庄城主に願出て福井の鍵町に移転する。高屋の寺跡の管理を
       中谷家に依頼する。この頃最初の蓮如堂の建立があった。
1785年 吉田郡誌に蓮如上人旧跡の地は大字高屋にある。
1936年 昭和十一年九月 上人の木像を安置した蓮如堂を高屋の中谷同行が建立。
1998年 光明寺の助成金を基に高屋の門徒が中核となり高屋町民はもとより近郷の方々の協力と寄進を得て
       蓮如上人五百回の遠忌を記念し福井震災などで老朽化した御堂の再建を発願。上人の休まれた石に
       木像を安置し上人の仏徳の顕彰に努める。